なぜクーデターに


  今回、タイの国で何故クーデターが起きたのか知っていますか。私の拙い理解で説明します。

  そもそもの発端は今年の1月に行われたタクシン前首相の親族による株取引によるものです。タクシンは潮州(広東省の北部)華僑の一族でタイ北部チェンマイの出身である。もともと警察出身の実業家でタイの大手通信上場会社SIN Corporationを創業し経営者として名を上げた。5年ほど前、政界に進出に当たり小さな政党を集めタイ愛国党を立ち上げその党首になり、幸運にもその年の総選挙に勝ち首相の座についた。首相が他のビジネスを行うことが禁止されているため彼の持っていた株式を息子と娘に名義変更を行った。

  実はこのときの株取引は市場を通さずに行われたものであるが1株1バーツという額面で行われたため、キャピタルゲインによる所得税が発生していない。なお、タイの法律では市場での売買によるキャピタルゲインについては幾ら儲けても所得税はかからないが市場外取引では30%の所得税が発生する。今年の1月、親族による株式の保有が実質的なタクシンの支配であるという以前からの批判をかわすためその株を売却することにした。売却先はシンガポール政府系企業であった。

  通信会社は外国人投資規制法によって外国人の持分は25%までとされていたが取引の直前、法改正を行い49%までの保有を可能とした。実際にはタイ企業をダミーとして取引が行われた。このときの取引総額733億バーツは全て市場を通して行われたため無税の取引となった。お互いが同時に同数の売りと買いの注文を出すことによって数億株の取引が瞬時に市場の場で成立したということである。これによってタクシンは一銭の税金を払わず日本円で約2300億円の巨額を手に入れたことになった。

  この一連の取引を脱法行為としマスコミ、野党、知識階級が非難を始め、毎週金曜日にはバンコク市内のルンピニ公園でタクシンの辞任を要求する集会を開くようになった。これに対しタクシンは解散を行い、民衆に信を問うことした。このとき、野党は非常に苦しい対応を迫られた。理由は反タクシン勢力はバンコク市内と最南のイスラム支配3県だけで選挙をすれば負けは明白であったためである。結局、選挙のボイコットを行い主だった野党の立候補者は0となった。タクシン側は弱小政党に援助して対立候補を作り出し選挙を行うこととした。タクシンは国家プロジェクトの工事案件について発注額の15%程度を裏金で党に戻しその金で選挙民への供応を行うため特に地元では熱狂的な支持者がいる。なんといっても地方の農民は1ヶ月6000バーツ程度の収入であるので1000バーツで呼び寄せれば皆集まってくる。

  4月2日総選挙が行われ、タクシン側の圧勝となったが野党側が選挙の無効を訴え泥沼化した。タクシンは選ばれたものとして引き続き首相として政権を担当する気構えを見せたところ初めて国王に動きがあった。タクシンを呼び話があった。内容は明らかではないが翌日、タクシンは首相の座を降りる可能性を示唆した。結局、最高裁により4月の総選挙は無効と判断されタクシンは暫定首相として暫定内閣を組閣した。やり直しの選挙日程がなかなか決まらず10月15日に一度は決定したものの選挙管理委員が決まらず、未だに日程が決まっていない。タクシンも自身の退陣については言及を避け、政権に色気を出し始めた。また、再び選挙を行っても野党が勝つという目安もまだ立っていない。こういった不安定な状況が続き今後の体制もはっきりしないということが軍によるクーデターの引き金になったと考えられる。このクーデターに対し国王が承認したことによって国民全体が反タクシンの流れに向かっているように感じられる。

以上


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