タイは楽しいぞ



《この文章は、書いたのが1998年頃のことなので当時の金額と今のでは1.5倍から2倍近く値が上がってます》


北部

国境の町メーサイ

ゴールデントライアングル地帯へのタイ側の玄関口。ゴールデントライアングルはメコン河が支流と合流するY字型の地形でタイ、ラオス、ミャンマーに囲まれたところ。麻薬である阿片の原料・芥子の栽培で有名。

メーサイの街はゴールデントライアングルから西へ30km程離れており、ミャンマーと接している。国境は5、6mのどぶ川で水の流れている所は川幅2mも無い。本当にこれが国境なのかと疑うくらいだ。川の両側は軒を連ねた1、2建ての粗末な民家が並びそこの住人は川を自由に行き来している。

小さな橋の両サイドにタイとミャンマーのイミグレーションがある。ミャンマーへの入国は100タイバーツ、但し当日限り、しかもその辺りのみ有効で別のイミグレーションから出入りすることは出来ない。ここの出入国管理はいいかげんと言うか便利がいいというかパスポートのコピーだけでも通してくれる。パスポートはタイ側のイミグレーションに一時保管となるが出入のスタンプはどちらの国でもパスポートのコピーに押してくれる。タイに戻ったらスタンプを押したコピーと引き換えにパスポートを返してくれる。

ミャンマー側には大きなマーケットがあり中国製品が山積みされている。見た目、素晴らしい冬磨i最上級干し椎茸)500gが400バーツ(約1000円)だったので思わず衝動買い、味はやはり値段だけのことあってイマイチ。綿製の織りが荒く黒、赤、黄等の原色で織られた畳一帖ほどの大きさのものはベッドのシーツとして使うと夏場には通気がよく快適である。ただし、藁が一緒に織り込まれているのでチクチクするたびに藁を抜かなくてはならない。それでもこの100バーツ(270円)は価値があった。

 

チェンライのコンドーム

メーサイの南約50kmのところにチェンライという大きな街がある。ここ周辺の山間部にはいくつかの山岳民族が各民族に分かれ集落を作って住んでいる。建物は粗末である。観光客用にポシェット、木彫り人形などを売っている。彼らは低所得であるため教育水準も低く、そういった集落からなかなか抜け出ることが出来ない。その集落の中に一件だけ場違いなお屋敷が建っていたがこれはタイのジャパユキさんが日本で捕まえた男に建ててもらったとのこと。スケベな男の甲斐性なのか。豪華な家一軒が200万円で建つそうです。

チェンライにはこれといったレストランはない。面白いのは刑務所に近い「キャベジーズ

アンド コンドームズ」である。レストランであるがコンドームの博物館でもある。どでかい奴が並んでいると思わず自分の股間を見てうな垂れてしまう。オーナーはエイズ撲滅運動家である国会議員。値段はやや高め、観光客狙いと思われる。

夜なると街の一画は屋台で賑わう。手工芸品などを売る土産物屋と食べ物屋が並び観光客が楽しんでいる。木の瘤から作った木目の面白いコースターや飾り箱はなかなか良い土産だと思う。

チェンライ空港の少し北の街外れに日本の唐津で修業したというタイの陶芸家として著名なソムラックさんの陶房がある。しかし、陶芸にあまり興味を示さない地元の人たちは彼の存在をほとんど知らない。奥さんはヤマノウチ タマコさんという方。陶房で製作された陶器の販売プロモーションを行なうためタイ全土を駆け回っています。日本的感覚の焼き物なので私好みではあるがタイのお土産と考えるとちょっと違うかもしれない。私は直径60cmの黒い大皿を2500バーツで買いました。刺身を盛ると豪華に見えます。バンコク市内にあるエンポリウムというデパートでも売っていたがここでの価格設定はちょっと高すぎる。タイの感覚でいうと10倍以上高い。

 

チェンマイの水かけ祭り

バンコクの北約800kmにあるタイ最古であるチェンマイ王国の都であり、観光名所。山側にはケーブルカーがあり滝や古寺を見ることができる。象によるトレッキングの基地でもある。タイで最も暑くなる(42度位になる)毎年410日前後のソンクラン(タイの正月)の時期はここチェンマイの水かけ祭りが特に有名でタイ国内だけでなく世界中からも観光客が集まる。

山車に乗った仏像に水をかけ、山車から聖水をかけてもらうことから始まったものであるが現在は誰彼関係なく水鉄砲やバケツで水をかけあうもので観光客もずぶ濡れとなる。なかには市内を流れるお世辞にも奇麗とはいえない川の臭う水をかけられることもある。

白いTシャツの女性は特に人気がある。濡れるとモロ透けて見えるからである。我々のグループにグラマーな新婚の奥さんがその白いTシャツを着ていたからたまらない、完全な標的になっていた。

肩口から背中にツーと氷水を流されるとたまらない。悶絶しそうなほど辛い。かけた奴はニヤニヤしながらサワデーピーマイカップ(新年おめでとう)と合掌。

最近、ヨーロッパの大使夫人が水をかけないでと言ったにもかかわらずかけられ怒ってその子を張り倒したことがあったがそれが新聞で叩かれ大騒ぎとなって大使夫人が正式に謝罪したこともあった。

私もバンコクで食事に行くところ、飲み屋の前で奇麗なネエチャン達に水をかけられビショビショになり飯屋に入れずすごすごと家に帰ったことがある。

北部で有名な食事カントークは日本のお膳のような感じで一人ずつサーブされる。内容は鶏の唐揚げ、野菜の炒め物等5品程度で主食は籠に入ったもち米を炊いたもの。これを指でひねくり回してやや餅状にして副菜といっしょに食べる。北部、東北部ではもち米を良く食べる。

 

スコタイの飛行場

チェンマイの南、スコタイ王朝の首都であった所。日本人観光客も多く、遺跡で有名。日本の灯篭流しに似たローイカトンは11月中旬にもようされる。この日、遺跡の中では国を治め凱旋したラームカムヘン大王を迎えるため王妃が円盤状に切ったバナナの茎に花を飾り灯篭にして川に流したという物語が世界遺産の遺跡の中でライトや花火を巧みに使い演じられる。

池に張り出して観客席があったがたまたま大きなヘビが池で泳ぎ始めたため近くの観客はパニクっていた。期間中、この小さな町は国内外から多くの観光客が集まり賑わいを見せる。もっともこの時期タイの全土で灯篭流しは行われる。スリンの象祭りと同時期なので両方一度には見ることが出来ない。

今までは隣の都市、ピサヌロークの飛行場からのアクセスであったが最近、飛行場が出来た。しかし、電気がないので夜間飛行が出来ない。田んぼの中に滑走路を舗装し両側に排水溝を設けただけの空港である。飛行機が着くと3、4両連結の遊園地にあるようなオモチャ風の車両が滑走路まで迎えにくる。バンコクエアーウェイズというマイナーな航空会社が一日1往復プロペラの小型機で運行している。旅客ビルは遺跡をイメージした外観で雰囲気がありなかなか良い。壁を少なくし柱と屋根の構造で風通しは極めて良い。天井は無く屋根の骨組みが見えるが確かに電灯は付いていない。チェックインカウンターにはコンピューターがのっていたがこの程度の電力は引いているらしい。バンコクへ帰る便が昼食時間と重なっているにもかかわらず食堂がない。旅行社が昼食用に街で買ったサンドイッチを配ってくれた。これだけじゃ物足りないので何か無いかと探したら、一袋5バーツ(約15円)のトムヤム風味インスタント麺を売っていたキヨスクのような店を発見。お湯を入れてくれるとのこと。どんぶりに入ったぬる目のラーメンは辛かった。

 

東北部

スリンの象祭り

バンコクの東約400km、カンボジア国境にも近い所。11月の中頃、象祭りが行われる。タイ東北部の象が一同に集まりショウがある。騎馬戦ならぬ騎象戦や象のサッカーなど盛りだくさんで子供連れが多い。偶々、主役の大象が突然発情し、地面に届きそうな巨大なオチンチンをブラブラさせておりました。子連れの親は子供になんと説明したのでしょうか他人事ながら心配しました。幅約100m長さ200mのグランド一杯をつかった象の大行列の時、一頭の象が突然狂ったのか猛スピードで走り出しかなり危険な状況になり必死の形相で暴走を止めようと象の頭を棒で力いっぱい殴っていた使い手の顔が印象的でした。私のいた客席の近くを通ったものだから一瞬ヤバイと思いましたが動物相手ではハプニングはつきものです。

今回、我々は在タイ日本人用のツアーに参加したが乗り物で楽しめた。まず、夜の9時、バンコク・ホアランポーン駅出発の夜行列車はとてつもなく長くホームに収まりきれない長さでありました。定員は無く、予約があればどんどん車両を繋いでしまう。普通に考えると当たり前だが日本ではそうはいかない。遠足気分で朝から準備したお寿司、鳥の唐揚、酒の肴とクーラーボックスにはビールやウイスキーを持ち込み車内で大宴会を始める。タイ料理は中に乗っているサービス係りに頼めば色々持ってきてくれる。車両は日本製(東急車輛)の寝台車で乗り心地は思ったより良い。乗るときはホームがあったから良かったが夜明け前4時の到着時には田舎の駅の短いホームだったので降車場所にホームがない。暗闇の中、列車から線路までタラップも無く、ぶら下りながら降りた。ホームまで200m程の距離を、レールに敷いてある砕石に足をとられながら車窓からもれる明かりを頼りに歩いた。それからバスに乗ったり、象に乗ったり、最後は飛行機でと盛り沢山であった。

 

ウボン・ラチャタニーの国歌斉唱

スリンより更に東、ラオスとの国境近く。蝋燭祭りで有名。蜜蝋を固めた仏像を山車で引き回す祭り。大きいものは仏像だけでなく飾りもあり高さ2.5m、長さ4mにもなる。暑い中行われるため、像の一部が溶けているのもある。蜜蝋で作ったと言うことは蜂蜜があるだろうと考え、お土産にと期待したがどの店を探してもまったく無いのはどういう事なのか分からない。今、流行りの蜂の巣から採るプロポリスはバンコクで売っているが蜂蜜を特産としてはいない。たいした土産物の無いので残念。

前夜祭には紙と木の骨組みで出来た細長い風船の下に蝋燭の火を付けるとちょうど熱気球のように上がる。風に揺られて夜空に点々と現れ幻想的に動きます。

翌朝、ホテルで朝食後、昼食も同じ処でとの説明があり、おそらく同じようなブッフェになると予想、不味いものは食いたくない。祭りの後、沿道の屋台で炙った鳥やイカの焼いたものを大量に買い込みホテルの昼食会場についたところ予想的中。しかも量が少ない。同じテーブルについた同じ団体の客からえらく感謝されました。食い物には気配りが必要です。

ところで話はまったく飛びますが朝の便でウボン・ラチャタニー飛行場のロビーに着いた時、丁度午前8時となり、国歌が流れロビーにいた全員が起立して国歌斉唱していた。とても感心した。なぜ、日本はそれが出来ないのか、不思議な国だ。タイにはいたる所に国旗が掲揚されています。国旗と対に黄色や青の旗が立っています。黄色は国王、青は王妃、紫は第2王女など決まっております。タイ人はとても素直に王様を尊敬しています。幾度かの政変の危機にも王様の毅然たる対応に国民はより信頼を深めています。アジア経済危機に直面したときも王様は国のあるべき姿について直接テレビ、ラジオを通し国民に原稿無しで2時間近く演説しておりました。ほとんどの国民はこれを熱心に聞いておりました。

 

中央部

バンコクのお風呂

バンコクはタイの首都。人口はタイ全体の10%を越える650万人とも言われている。バンコクの観光地といえば王宮(ワットプラケオ)、暁の寺院(ワットアルン)、涅槃仏のワットポーやタイシルクで有名なジムトンプソンの旧居などがある。以前は水上マーケットもあって賑わっていたが今は移転してバンコクには無い。ただ、今も観光客用にその場所に舟が出ている。剥き出しのエンジンから伸びた長いシャフトの先についたプロペラ付きの細長い舟が器用に狭い運河の中を走り回る。まとわりつく小舟の物売りは煩わしいばかりである。バンコクはチャオプラヤ河を中心にして無数の運河が縦横に走っており、舟は重要な交通手段である。運河からのアクセスしかない建物も多い。舟の郵便配達もあり家の近くにくるとカランカランとベルを鳴らして近づくような珍しい光景に出会うこともある。

バンコクの正式名は百字以上にもなる世界一長い名前とのこと。タイ人は通称クルンテープ(天使の都)と呼んでいる。その名の如く夜にもなると天使ばっかり。日本人御用達のタニヤ通りや隣筋の西洋人好みのパッポンストリートは大勢の天使とそれを求める男達であふれている。過激派(西洋人)はパッポンの鉄棒ぶら下がり・尻クネクネ・ワンショットバー、2階にあるバーは要注意、ぼったくりの店が多い。カラオケ派(日本人)はタニヤの個室カラオケで野球拳。お気に入れば店の外にどちらの店でも連れ出しOK

タイのエンターテイメントといえばゴルフだけではなく風呂屋も頑張っている。高級なところではラマ9世通りにある「ジュリアナ」、「ビクトリアズ シークレット」、「ホノルル」、ラチャダムリ通りの「エマニュエル」、「シーザー」といったところ。「シーザー」ではVIPルームの名前「アレキサンダー」が由来の「アレキサンダー遊び」なる言葉まで出来た。酒池肉肉林のお遊びである。「酒池肉林」は酒や肉が豊富で豪奢を極めた酒宴とのことですがここでは別の肉がもうひとつ付くようです。所用時間5時間お値段お一人様1万バーツ(27000円位)5名様御一緒がヨロイシと言われています。いずれにしてもかの有名なエイズ蔓延地帯、お気を付けることが必要でしょう。

 

アユタヤの遺跡

14世紀から17世紀にあったアユタヤ王朝の都、チャオプラヤ河とその支流に囲まれた所に立地している。バンコクから北へ70km、高速道路が整備されたため1時間ほどでいける。遺跡の規模と美しさではタイ随一。観光客を乗せる象も沢山いる。木の根に嵌っている仏頭や3つの仏塔が並んだ遺跡は観光客であふれている。街全体が世界遺産として認定され整備が進んでいる。町の西方の外れ、川に面したクメール式の遺跡は見事である。残念ながら日本からのツアーにはそこの場所は入っていない。

タイ式の仏塔は塔頂が長く尖っているのに対しクメール式のそれは丸く、回りの壁面に細かい細工模様が刻まれている。タイ(仏教)支配とクメール(ヒンズー教)支配が繰り返されたためタイ様式とクメール様式が同一遺跡に混在している。ヨーロッパでのキリスト教は他宗教を認めず、イスラム教の寺院を壊しそこに教会を建てたのと対照的な考え方である。材料は煉瓦と漆喰の組み合わせで出来ている。遺跡の多くは漆喰が剥げ落ち煉瓦がむき出した状態である。アユタヤの南にはアユタヤのタイタニックと呼ばれるかって中国交易に使った沈没船があり壊れた陶器など遺留品の一部が公開されている。

旧日本人街は日本人ツアー客が必ず行く所であるがその面影は全く無い。土産物屋の部屋の中に小さな山田長政の像があるだけでガッカリ名所である。山田長政は江戸初期の頃(1600年頃)に渡り義勇軍(雇用兵士)の頭領としてビルマ軍、クメール(カンボジア)軍と戦い活躍し、王様に認められた。観光バスが着くと観光客相手にタイシルクや写真を手に売り子が寄ってくるがバンコクの歌舞伎町パッポンストリートの夜店のほうがずっと安い。

 

パタヤのオカマちゃん

タイ随一のリゾート地。ベトナム戦争時、前線にいる兵士の休息地として発展した。屋根だけのオープンエアーのバーではカウンターの中に奇麗なネエチャンやもっと奇麗なオカマチャンが店の外のイルミネーションと同じようにキラキラしている。こういったバーは料金も一杯づつ払うアメリカ式である。ネエチャン達は殿方と共に一夜を過ごさないとお金にならないので必死に客にまとわりつくので注意が必要。ドアのある店ではネエチャン達が鉄棒にぶら下がりながら腰をクネクネ、時間がくるとスッポンポンになる。下には鏡がついている所もあり、客の目線は当然ながら鏡に張りついていた。パタヤ名物と言えばオカマショウ。オカマのおネエチャンが繰り広げるレビューはとても奇麗です。一緒したあるお客様はみんな歌が上手ですねーと感心していましたがあれはクチパク、決して歌ってなんかいない。何故なら彼女らの声はやっぱり男の声だから。「アルカザール」と「ティファニー」の2件が有名、ティファニーは韓国人客が多い。ストリップショウのように過激でないから子連れでも大丈夫。

パタヤの海は汚れていて泳ぐには不向き。泳ぐならパタヤから小船で一時間程度の沖のラン島(コーラン)が良い。パタヤから舟に釣り具、餌を用意させビール片手にのんびりと釣りを楽しむ。釣りに飽きたらラン島に上がりそこのレストランで釣った魚を料理してもらう。腹が一杯になったらビーチでバードウオッチング。どういう訳かオカマのバードがうようよしている。まだ切り取ってないのにもかかわらずTバックなぞ穿いているもんだから海から上がる時などしゃがみこんで大事な奴を一生懸命たたむ姿は滑稽だ。

潮がよければ夜にイカ釣りに出かけるのも良い。ヤリイカかアオリイカが集魚灯に集まる小魚を狙ってくる。船頭が捕れたてのイカを刺身にしてくれる。透き通ったイカの刺身とビール、なんともこたえられません。舟のお代は一日で5500円位、5、6人で楽しめばなんと一人1000円。

 

ラヨンのバンガロー

パタヤの南東、これからのリゾート地という趣。年に一度、果物祭りがあるほど果物の街である。タイは全国的に5月から6月にかけて果物が最盛期となる。特にマンゴ(マムアン)は素晴らしい。マンゴともち米(カオニャオ)とココナッツミルクを一緒にしたカオニャオ・マムアンはデザートとして最高。ドリアンはラヨンのものが最も有名で大きく(ラグビーボール程度)甘みが強い。ラヨンの東にはサメット島がありまさにエメラルドグリーンの海に白いビーチが点在している素晴らしいところである。但し、島内の交通手段は乗合トラックしかない。一番近いビーチへは一人10バーツ遠いビーチへは30バーツであった。 島への渡船はあるが桟橋が壊れそうなので恐い。我々がサメット島に海遊びに行くときは少し東に離れたローカルが利用するホテルのバンガローを拠点として使う。エアコン付きでツインが2部屋、各部屋には風呂がそれぞれ付いている。大人4人が利用できて3000バーツ(一人あたり約2200円)はお値打ち。牛肉やサラダ、調味料等諸々の材料はバンコクで調達、クーラーボックスで運ぶ、イカは近くの市場で採れたてを購入する。部屋には下ごしらえの出来る流しがあるのでイカをさばき醤油と味醂で下味をつけたりサラダなどを作る。その間、ホテルにバーベキューの用意をさせておく。給仕が二人もついて焼いてくれるがまともな牛肉なんぞ食ったことも無いやつらだから焼き具合を常にチェックしなくてはならない。おすそ分けでちょっと食べさせたらこんな美味いものは食べたことが無い、ホテルの料理人に食べさせたいと連れてきた。厚かましい奴等だが素直であったので分けてやった。使役の終った固い水牛の肉しか食ったことが無いのだからたまげるのももっともだ。

 

カンチャナブリのサファイヤ

映画「戦場にかける橋」で有名な所である。この橋は第二次大戦時、日本軍が物資輸送のため建設されたタイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道線上にあり、クアイ河に架かっている。建設労働者としてイギリスやオランダの連合軍捕虜や韓国軍捕虜達が動員された。過酷な労働と気象条件更に食糧難による栄養失調で夥しい死者がでた。街には墓地と慰霊碑がある。日本人として素直に頭を下げざるを得ない場所である。戦後すでに50年以上、過去に何があったか理解していない日本の若者(バカ者)がこの地を単なる観光地として訪れることには抵抗がある。最近イギリスやオランダを訪問された天皇、皇后に対し抗議を行なっているのはそういった旧捕虜であった人たちとその支持者達である。

北西へ約100km行くとミャンマーの国境に出る。国境周辺に限ったビザは簡単にその場で発給してくれたがヨーロッパの馬鹿ヒッピーがそこから入国しラングーンで出国しようとして捕まった。そのため我々が行った時は外国人のビザ発給はしてもらえなかった。

カンチャナブリの北東約30kmには国立公園があり、その付近ではサファイアが産出する。宝石工場があり安く買うことが出来る。ミャンマーのルビーやスリランカのスターサファイヤなども加工している。以前、日本からのお客様を案内し、買い物をしたとき3つ買ったのに値引き交渉している間にどうしたことか2つ分しか請求されなかった。帰りの車の中で気が付いたものの引き返す時間が無かったので車の中で大声で有難うと言った。感謝の気持ちが届いたかどうかは知らない。

 

南部

ホアヒンのカブトガニ

王室の保養地がある。パタヤとはシャム湾を隔てて対岸にある。パタヤと違い遠浅ではなく泳ぎにくい。雰囲気はパタヤに似たところがある。近くには著名なゴルフ場もある。

小さな漁村でもある。獲れたての魚があつまる魚市場で偶々40cmくらいの鰹があった。幾らだと聞くとやり手のカアチャンが50バーツ(130円)というので買った。旅行のとき魚釣りなど出来る可能性のあるときにいつも携帯している包丁で一流ホテルの風呂場でさばき、夕飯のレストランに持ち込んだ。醤油を忘れたのは不覚であった。ナンプラー(魚醤)とニンニクで試したがやはりイマイチであった。

フアヒンの名物にカブトガ二がある。古代からの生き残りとしかおもえない格好をしていてこんなの食っていいのかと思う。結構、有名らしく殆どのローカルの人たちは注文している。食べるところはほとんど無く腹に抱えている卵を食べるのだがモソモソしてちっとも旨くない。小さなバイ貝を焼いたやつは結構いける。4月なのに生の牡蠣もあったがちょっと油くさかったので私は1個しか食べなかった。仲間たちは味覚神経が無いのでいくつも食べたが何とも無かった。胃の中に毒素を喰う細菌でも飼っているのだろう。

 

プーケット島のマニキュア

タイ随一のリゾート地。タイで最も物価の高い場所でもある。日本企業が開発したゴルフ場付きホテル「ブルーキャ二ヨン」はバンコク周辺のゴルフ場のプレーフィーに比べ5倍程高い。超高級ホテルではプライベートビーチを所有し、優雅なリゾートライフを満喫できる。デカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」で有名になったピーピー島にはプーケットから船が出ている。ビーチではパタヤのラン島と同様、頭にビーズを飾ったり、マニキュアやマッサージのサービスも受けることが出来る。試しに透明のマニキュアをしてみたらひどく圧迫感があり嫌なもんだった。女はあんなものを何時もしているがきっと神経が無いのだろう。

 

ハジャイの夜

マレーシアとの国境に近い街。以前は密貿易と女の街として有名だった。タイは仏教の国というイメージがあるが実際には約10%のイスラム教徒がいる。特に南部はイスラム教徒がマジョリティを占め頭巾をかぶった女性の姿が目立つ。街には中国語、タイ語、マレー語の文字が混在し、独特の雰囲気がある。以前、マレーシアで聞いた話ではハジャイに行くといえばカアチャンから絶対に許可がでないというほど。目をギラギラさせた男共がマレーシアの首都KLから夜行のバスに揺られて5時間。ハジャイ着いたら一目散に駆け込んだといわれる場所は「ピンクレディ」という名で現在も営業している。いかがわしいショウを見たければ薄暗い路地を2個所曲がり、今は営業してない飲み屋に入り裏の階段を上りさらに迷路のような通路行くとたどり着く。これは本物だと期待するも7時の開演がなかなか始まらない。ようやく始まったらまったく不細工なネエチャンのバナナや吹き矢を使った花電車が延々と続く、さすがにがっくりきてそそくさと帰る。9時を過ぎてしまい晩飯には遅くなった。ハジャイに行くと必ず食べるフカヒレのスープ、小牡蠣の卵とじ、豆苗の炒め物が食えなくなった。バカヤロー。

国境の村サダオにはマレーシア資本で出来た「ブラックフォレストCC」というゴルフ場がある。このゴルフ場正確にいうと国境をまたいでいるためタイの出国手続きはしないが出国ゲートを通らないと行けない。係員にゴルフと言うと簡単に通してくれる。ゲートの先にはまともな免税店があり酒やブランド品が買える。マレーシア側からも大勢買い物客がきているが彼らもゴルフという言い訳を使っているのだろう。

 

その他

タイのゴルフ

タイに行ったら必ずゴルフでしょう。バンコク周辺には近場でも20以上ある。チャオプラヤ河のデルタ地帯なので元の地盤は全く平らである。各グリーンやホールのために盛土が必要となるが土がないのでそこらを掘って土を調達する。すると大きな穴ができ、そこが池となる。即ち、タイのゴルフ場は池だらけである。タイでゴルフをするときはケチケチしないこと。まず、キャディは二人以上つけること。一パーティではなく一人に二人以上です。一人はバッグ運び、もう一人は傘持ちです。傘持ちはコースを良く知っているので常にアドバイスを受けられる。常にご主人様に日が当たらないよう注意することが出来るので気が利く。三人目は椅子持ち、バンコクでは5人打ちや6人打ちを認めるコースが多いのでホールごとの待ち時間がある場合がある。このため椅子持ちがいる。さらにもう一人となれば「おー手―手つないで…」の世界である。グリーンに上がると人だらけに見える。キャディーフィーは一人200バーツ(550円)でチップも一人100バーツ位である。2、3千円で王様になれる。この行為は仏教でいう施しである。金をばらまくということでなく貧者の救済ということを念頭におく必要がある。タイのゴルフで気を付けなくてはいけないことが一つあります。タイ人は他人に気を使うことをあまりしません。コース上で携帯電話でお話中、前が空こうとお構いなし。隣のコースへ打ち込んでも堂々とゆっくりコースを横断します。優先プレイヤーが準備をしていてもである。ここで短気になってはいけません。必ずスコアーに響きます。キャディに文句を言ってもキャディは何も出来ません。首にされるリスクは負いません。コース上で怒鳴りあいになるようなことが無いように気をつけましょう。

 

タイ食べ物

タイの食べ物は唐辛子の辛い、砂糖の甘い、マナオの酸っぱいをミックスしたものである。日本のレストランでは塩、胡椒や偶には醤油がテーブルに置いてある。タイでは砂糖、粗引き唐辛子、ナンプラー、唐辛子入り酢の4点セットが置いてある。味付けは自分の好みでということで料理は薄味のつもりで作ってある。

 

ヤム ウーセン(春雨サラダ)

ヤムとは和えること。ウーセンは春雨のこと。小海老や小さく切ったイカをボイルしたものと春雨に、生の叩いた唐辛子やパクチー、ナンプラー、マナオ(タイのスダチ)、少しの砂糖で和える。いかにもタイの味である。観光客の集まるところでは辛さを調節してくれる。ペッといえば辛い、マイペッといえば辛くないもの。でもやっぱり辛い。

 

激辛のソムタム

イサーン地方(東北地方)の食べ物。イサーンの食べ物は総じて辛い。ヤムウーセンと味の質は同じであるがもっと辛く、もっと甘くしたものである。内容物は青パパイヤを千切りにしたものにトマトや、干し海老や生きている沢蟹をつぶしたものが入っている。タイ人の90%がA型肝炎といわれているがその原因はこの生きた沢蟹のせいと日本人は言っている。なにしろ辛い、甘い、美味い。

 

ゲーンキョウワン

タイ料理の中でポピュラーなもの。グリーンカレーである。内容物は鶏、小さな丸い白茄子、グリーンピースなどでスープ状のカレーである。茄子は生茹での状態で出てくる。イサーン地方の料理であるが辛さは中程度である。店によっては砂糖をかなり入れるので甘く感じるものもある。

 

ゲーンチュウトーフ

豆腐のスープ。豆腐と海苔やタイ三つ葉というかセロリの葉の部分なのかそんな野菜が入っている全くあっさりしたスープ。豆腐は魚肉ソーセージのような丸いものが主流、辛さに閉口した口には助かる。

 

トムヤムクン

世界三大スープの一つである。クンは海老のこと。鶏や豚でとったスープがベース。海老、豚、イカなどを入れる。ミカンのような葉やレモンの香りがするレモングラス、タイのスダチであるマナオをいれ唐辛子ベースのトムヤムの素で味付ける。店によりココナッツミルクでコクをつけたり、砂糖でマイルドにしたりする。辛ければ辛い程旨い。

 

パップクン ファイデーン

炎の空芯菜。中華の食材である空芯菜と塩漬け大豆、にんにく、唐辛子、ナンプラーで味付けし炒めたもの。日本人好みの野菜炒めである。店によっては砂糖を入れて甘く感じるところもある。

 

プーパッ ボンカレー

カニのココナッツカレー炒め。香港の今は使わなくなった啓徳飛行場のそばで昔、悪の巣窟と呼ばれた九龍城の近くにタイ人が多く住んでおり、街中とは違うタイ料理屋があった。そこで初めて食べたのがカニのココナッツカレー炒め。3日連続してその店に通って食べたほど旨かった。

バンコクのスリウォン通りにある中華料理店「ソンブーン」が有名であるが、私の好みでは観光客相手ではあるがシーロム通りにある「シーロムビレッジ」のものが好きである。

 

カオトム

お粥のこと。日本のお茶漬けに近く、サラサラしている。中華の潮州料理のお粥と同じ。主に朝食として食べられる。ゴルフ場の朝食の定番メニュー。海老入り、豚つみれ、牛肉の3種類ある。生卵を入れても良い。味は薄めに作ってあり好みで、唐辛子、砂糖、ナンプラー、酢を加える。

 

バーミーナーム

卵麺の汁そば。いわゆるタイ風ラーメン。カオトムと同様、味付けは自分でする。麺の種類によってセンレックナームとかセンヤイナームとかある。ナームの意味は水とか汁のことである。センは米粉から作った麺である。レックは小さい・細い、ヤイは大きい・太いの意味。

 

タイスキ

コカ(可口)MKの2軒が有名、チェーン展開をしている。スキヤキとは言いながら寄せ鍋である。主に、魚のすり身やイカ、海老、肉と野菜、豆腐が内容物である。ニンニク、パクチー、唐辛子、ナンプラー、砂糖等を混ぜたとろみのあるタレで食べる。最後にご飯と卵でオジヤにする。最初に教えた日本人が本当のオジヤを知らなかったとみえネトネトになるまでかき混ぜる。ほとんどの日本人は好む。

 

メコンウイスキー

おそらくサトウキビから作られるラム酒の一種であると思われる。めちゃくちゃ安いのでローカルには人気があるがストレートや水割りでは不味くてとても飲めない。飲み方はソーダで割り、マナオ(タイのすだち)を入れる。

 

タイビール

シンハ、ビアチャーン、クロースターなどがある。日本人には圧倒的にクロースターが人気。凍る寸前まで冷やしたクロースターは最高である。

 

テンモーパン

テンモーとはスイカのこと。ミキサーで粉砕した氷とスイカジュース、砂糖蜜を混ぜたもの。女子供だけの飲み物でもないようだ。一度は飲むべし。ちなみにパイナップルのことをタイ語でサポロと呼ぶ。札幌と覚えればよい。蛇足か。


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