【タイ治まれど憤慨収まらず】
PCの具合が悪く今までのメール記録が全て消え、連絡できませんでした。
未だに通常の通信が出来ませんので非常に困っています。
とはいえ皆様の関心事はタイの政情混乱でしょう。
私もここまでの状況が進むとは思っていませんでした。
但し、国会周辺、飛行場周辺を除いてバンコク市内は全く変化はありません。
平静そのものです。
原因は元首相のタクシン派(赤シャツ軍団)と反タクシン派(黄シャツ軍団)の反目です。
以前にも書きましたが、タクシンは貧困農民福祉策を武器に、地方では圧倒的な人気を持っていました。
警察高級官僚時代に自ら設立したポケットベル会社の製品を警察官全員に持たせ通信ビジネスを確立し、その後
タイ最大の通信会社まで押し上げたやり手のビジネスマンとなった。
タイ愛国党を設立し、地方住民を金で取り込み首相になり、さらに非合法と思われるやり方で私腹を肥やした。
2006年9月、当時のタクシン首相が国連総会に出席のため国を離れた際、陸軍によるクーデターが起き、追放され、
タイ愛国党は解党された。
軍による暫定政権の後、2007年12月に総選挙が行われたが都市部では黄シャツ軍団が勝つものの、地方部では
タイ愛国党が名前を変えた国民の力党という赤シャツ軍団が圧倒的に強く結局、第1党をとり、連合政権でのイニシア
チブを取った。
これに対し、黄シャツ軍団は金で買った票での政権は民主的な選挙で選ばれたものではないとし、てタクシンの傀儡
首相の退陣を求め続けた。
9月には国会と首相府を占拠し、政治の混乱が始まった。
警察による強制排除が行われた際、1名の若い女性が犠牲になり、その葬式に王妃が参列したことが黄シャツ軍団を
勢いづかせた。
さらに、タクシンがイギリスへの亡命を願っていたが、滞在ビザすら剥奪され流浪の旅の最中、タイ政界への復帰を
ほのめかしたため黄シャツ軍団の怒りの炎に油を注いだ形になった。
ペルーで行われたAPEC総会に出席したソムチャイ首相の帰国阻止を目論んだ黄シャツ軍団は、バンコクにある2つの
飛行場を占拠するという暴挙に出た。ということです。
もともと黄シャツ軍団はバンコクを中心としたインテリ層で、対外的なビジネスの恩恵をもっとも受けている層である。
今回の暴挙は自らの首を絞める結果となるのであるが、タクシン憎しの感情が理性を上回ったのでしょう。
今後、暫定政権を経て総選挙が行われますが、解党命令を受けた国民の力党は既に受け皿となる新しい政党を作って
おり、次の総選挙でもタクシンのお金で与党となる可能性が高いと思われます。
タイは汚職に対し極めて寛大な人種であり、その中で日本のような民主主義が育つには100年という時間がかかるの
ではないでしょうか。
★最後に一つ!
前回10月に帰国し、バンコクツアーの打ち合わせをしようとしましたがそのとき、朝男、博幸両氏がパキスタンのホテル
爆破テロがあったにもかかわらずパキスタンは安全で問題ない。
車のカーテンを閉めて走れば心配ない。
との発言に、両名の海外における危機意識の欠如に唖然とし、このような人にはバンコクに来て欲しくないと話しました
が、なんと、その博幸氏から”バンコクの状況が悪いので旅を取りやめて良かったと”の投稿があり、びっくりしたものです。
08.12.05 泰介
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