【ひさびさのハノイは】


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年振りのハノイへ出かけてきました。

29日、飛行機が朝7:50発なのでアパートを5:15
真っ暗なうちにアパートを出ました。
フライト時間が1時間30分なので機内食は出ない
だろうと勝手に決めて食事は空港内のラウンジで
とることにしました。
朝食用にトマトジュースやスクランブルエッグ、ベー
コンなどが用意されていたのでまともなアメリカン
ブレックファーストを頂きました。
20分ほど遅れて出発したのですが朝食メニュー
を出され「おいマジかよ」「もう食えネー」ということで
シャンパン、赤ワインを食後酒にしてしまいました。
腹の中は十分一杯なのであまり酔いもせずあっと
いう間の1時間半でした。

ハノイのノイバイ空港はターミナルビルが新しくなって機体はボーディングブリッジに横付けされました。
以前は中古の神戸市営バスと書かれたバスに乗ってターミナルビルといっても古い2階建ての小さな建物
に案内されたものでした。
イミグレーションでカードを出したのですがそのままパスポートに挟んで返され「どうなっているのかねー?」。
荷物のコンベアは回っているものの何時までたっても私の小さなスーツケースとゴルフバッグは出てこない。
やはり、未だにこの国ではプライオリティタッグが何を意味しているか分からないようです。
このとき感じたのがこの場所がやけに静かなことでした。
以前はこの場所には賄賂を払ったタクシーの客引きが相当数いてしつこくまとわり付いて嫌な気分になったの
ですが今回は全くそのような人はいませんでした。スーツケースがようやく出てきたのですがゴルフバッグが
なかなか出てこない。もしかしてコンベアからではないのではと思い外側の出入り口を見ていると案の定、
私のバッグを持った係員がベルトの方に向かって歩いてきた。
それを受け取り税関検査へ。荷物を待っている間税関検査を見ていると以前とは違い、ほとんどが素通りして行く。
以前はX線で中身を調べ、申告書にスタンプをもらう必要があった。
この申告書は出国検査のとき回収されるので紛失しないよう注意したものである。今回は全く検査はない。

ようやく、通関を終わり友人のIH氏に会い、タクシーでハノイ市内に向かった。
以前は田んぼだらけだったのですがすっかり町並みに変わっていました。
ハノイに近づくと建物が混んで建設中の高層ビルがポツポツを現れるようになりました。
まず、IH氏宅に行ってバンコクから持ち込んだ食材を冷蔵庫に入れたらスーツケースは空になった。

午後ホテルにチェックイン後、タクシーで街中へ出て以前よく行った画廊というほどの店ではないが絵を売って
いる店を訪れた。昔より洗練されておりました。直ぐ小さなベトナムの農村を描いた水彩画が目に付き1枚幾ら
かと聞くとUSなら4ドル、ドンなら60,000ドンとのこと。交換レートは1ドルが16,000ドンなのでドンで払うことにした。
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4枚あった中から11枚選び600,000ドンでどうかと交渉し成立。

ブラブラと旧市街を歩く。以前からあった路地の市場は健在で昔に比べると海の鮮魚が圧倒的に多くなった。
以前は道路が悪く、冷蔵運搬手段も無かったためブロック状に冷凍された魚が運搬中に徐々に溶け、
ハノイに着く頃にはあらかた溶けて生きの悪そうな小魚が店先の板の上に並んでいた。
今は店先の板は同じでもいろいろな魚が鮮度良く並べてあり、思わず「いいねー」と声が出ました。

夕飯はIH氏の家族がインドカレーを食べるというので付き合いました。
奥さんと日本人小学校の5年の男の子と2年の女の子と一緒です。
ハノイはバブル真っ最中ということで金持ちのベトナム人がたくさん入ってました。
インドカレーはナンも含め大変美味しかった。翌日はゴルフのため、ホテルに早めに帰り直ぐに寝てしまいました。

30日、朝早くからゴルフ場へ、以前9ホールしかなかったゴルフ場が36ホールとなっており、
30日、31日の二日間で36ホールを回ることにしました。
ハノイについてから感じていたのですが天候がかなり違うのです。
この時期(
12月から4月まで)、ハノイは霧期でどんよりと厚い雲に覆われ、中国雲南省の高山からの冷気が
ジトーっと身にしみるのです。
実際この時期になると鬱になる駐在員がでます。
ところが今回寒いのは変わらないのですがどんよりした厚い雲でジトーっとするという感じでは無いのです。
どちらかというと清々しい寒さでした。

最初の9ホールは以前からあったコースでした。
最初の第1打をいきなり池ポチャのダボスタートが尾を引き、3回も池に入れ50をようやく切る体たらく。
後半は8ホールまで6オーバーでまあ良し。
最終ホールは第1打がフェアウェー、残り210ヤードを無理せず3オン狙いで2打目をグリーン手前に刻み、
良し良しと歩いていくとなんと池がある。
「なんだこれー」ショックが大きく4打目がシャンク結局8つも叩いてしまいました。

ハノイへ戻った後、足マッサージへ。ここにもバブリーベトナム人の客が目に付きました。
夕飯は以前赴任していたときの友人で今ボランティアでハノイで日本語を教えている
K氏と台湾新幹線で
一緒だった
M社のIT氏がラオスから合流し、ベトナム料理をいただきました。
この店はブッフェスタイルでベトナム人にも人気があり大勢の客でごった返しておりました。
雷魚とハーブのバター炒め、豚の焼肉と素麺を甘酢で食べるブンチャ、もやしと蝦の入ったお好み焼きの
バインセオ、ハノイの定番ヌードルである牛肉のフォーなどなど。
とても美味しくいただきました。
ホストである
IH氏はベトナム料理が得意でないので洋風のものを食べていました。

31日、早朝ホテルをチェックアウト、今晩はIH宅に泊まる予定。
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日と同様ゴルフ。スコアーは前日よりもっと悪くがっくり。
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時過ぎにIH氏宅に戻る。
奥さんと子供たちはラオスから来た
IT氏をハノイ案内。
皆が戻っていよいよ今回のメーンイベントである大晦日大晩餐会の準備に入った。
前もって作っておいたメニューを広げ忘れ物が無いかを確認。
料理の順番を決め私が師匠、奥さんが助手として調理を始めた。
IH氏とIT氏は知らぬ間にいなくなり、子供たちはコンピューターで遊んでいた。
6時ごろ両名が帰宅、6時半前夜一緒したK氏が来て全員集合。
既に始まっている紅白を見ながら大晩餐会となった。
今回のメインディッシュはステーキでした。
宴半ばで日本から持ち込んだ厚さ
4cmの肉を時間をかけてジックリ焼きはじめました。
K氏が焦げてるとか未だ反さないのかとかこんなに長く焼いて良いのかと焼きすぎを心配していた。
ようやく焼きあがった肉を皿にとり、
5分間じっと待つのだと皆に言い聞かせた。
K
氏ソースは何かと聞くのでステーキは醤油が一番、和辛子に醤油であると言うと怪訝そうに「醤油なのケ?」。
そのとき
IT氏、「私も肉屋で聞いたことがあります。
ステーキは醤油です。」ということで異論はなくなりました。
名古屋育ちではあるが前橋が長い
K氏再び「何故5分待つのケ?冷めていいのケ?」。
師匠「少し冷ますことで肉汁を落ち着かせるためだ。
熱いうちに切ると肉汁が出て見た目も赤い血が皿に広がり良くない。
肉汁を中に閉じ込めるため少し落ち着かせるのだ。」といって、おもむろに肉の塊を切るとなんと素晴らしい
出来ではないか。
この肉あっという間に皆さんの胃袋に入ってしまいました。
9:45には紅白も終わり白組が勝ったと鶴瓶が騒いでおりましたが私は年越し蕎麦の準備をしたら旧に睡魔が
襲い、年越しの蕎麦を食べることかなわずやむなく撃沈してしまいました。

元旦、6時に目が覚め、人の家のシャワーを勝手に使い、台所でオセチの盛り付けと雑煮の準備。
バンコクへの便が
10:40発なのでアパートの出発は8:30ということで7時過ぎには全員揃って
明けましておめでとう、
お屠蘇代わりに大吟醸で健康祈願。
割烹柴田亭ハノイ出張サービスも無事終了いたしました。

空港のイミグレーションでもカードは取られずそのままバンコクまで持って帰りました。

以上ハノイ旅行顛末でした

                                 080107 泰介


【泰介食堂メニュー】

泰介食堂 
12月31日年越し夕出張サービス ハノイ池○宅
年越し料理
先付け三種 スモークサーモン、蔦の家明太子粕漬け、生ハムマンゴ添え
サラダ ポテトサラダ、冷やしトマト
煮物 白菜と油揚げの煮物
蒸し物 茶碗蒸し(ホタテ、ウニ餡のせ)
焼き物 和牛ステーキ
飯物 手巻きご飯(海苔、加島屋の鮭茶漬け)
汁物 ざる蕎麦(海苔、山葵、ネギ)
1月1日迎春朝
屠蘇 清酒
オセチ 黒豆、田作り、昆布煮、栗きんとん、紅白カマボコ、伊達巻、ナマス
数の子松前漬け
煮物 里芋、シイタケ
雑煮 餅、鴨、青菜、カマボコ

  
  

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