【北京で思い出したこと】

からコルム隊が北京でトランジットするということで思い出しました。
随分昔のことです。おそらく私が
30台の後半だと思うので20数年前のことだと思います。
その頃私は香港に駐在しておりましたが中国・山東省済南近くの高速道路の見積があり、現場説明会に参加するよう指示を受けました。
日本でNo.1の道路舗装会社とJVで入札ということで、そのメンバーと一緒に出かけるので一旦日本に戻り、成田から出かけた訳です。
前日、会社に出てチケットを受け取り予定通り、翌日成田での出発となったのです。
当時の中国民航のB747のジャンボ機に乗り込みシートベルトを付けようと何気なく留め金を見ると、アリタリア航空の文字が見える。
ということは、この機体はアリタリア航空から買った中古機であるのが分るのですが、当時イタリアも長期の経済不振が続いていたはずでアルタリア航空もよそから中古機を買っていたはずだから、これは古古機の可能性が高いなーとちょっと不安になりました。
出発直前に「この便は上海経由北京行きのスケジュール便(チャーター便ではない)ではありますが、上海での乗降客がいないため北京に直行します」と、酷く聞きにくい英語のアナウンスがあり、この便は上海経由だったのかと初めて知ったのですが、それと同時にエーッそんなのありかヨーと驚いた。
トランジット予定地をパスするなんて聞いたことがない。
もしかして聞き間違えの可能性が高い。いや、絶対に聞き間違えに違いないと判断した訳です。
予定通り離陸したのですが、出て来た食事にはナンだコリャーでした。
出発地で機内食を積み込むのが普通なのでこの便は日本発ですから当然、日本で調理された食事が出るはずでした。
ところが出てきたのは明らかにチープなプラスチックの容器、トレイ、スプーン、フォークが置かれた中国で作られた食事でした。
この便は中国から来てトンボ帰りする便なので朝、中国で帰りの分も積んだのではないかと想像できます。
このためとっても食べる気にならず殆どを残してしまいました。
飛行機はアナウンス通り(?)北京に直行し、古古機の心配もよそに無事着陸しました。そして打合せ通りタクシーで北京飯店に行ったのです。
北京飯店で待っている予定の商社の人がおらず、ホテルで部屋を聞いても予約を受けていないし、満室だから泊めることは出来ないとのこと。
さあ困ったけどどうしようもない。商社の人を待つしかないということで、ホテルの喫茶店に入って待つことにしました。
幹事役の人が商社に電話をかけたところ「出迎えの予定した人は飛行場に行っているから飛行場でそのまま待ってくれ」「いや、我々はもうホテルにいる」「いや、あの便はいつも遅れるし、定時にしてもそんなに早く着くわけがない。
何かあったのか」との問答に、やはりあの機内アナウンスは正しかったのだと理解したのですが、出迎えの人は我々がホテルに着いたとのこと、ホテルから飛行場に向かったのでホテルで3時間近く待つ羽目になりました。
戻ってきた人は詫びながらもどうしてこんなに早く着いたのか、ありえないとブツブツ言っておりました。
ところで今夜の宿は北京駅に近い新橋飯店とのことでタクシーで移動。
当時、外国からのビジネス客が多く、ホテルは逼迫していたためなかなか予約が取れないとのこと。
ようやく入った部屋は明らかに別の人が使っている状態で、部屋には荷物が沢山積んでありました。
本当にここに泊まるのかと聞いたところ、この客は長期滞在で今日、明日は出張で遠いところにいるから今日は戻ってこないとのこと。
本当に凄い時代でした。

こう書いていたら上海のことを思い出しました。次は上海の思い出を書きます。

                                 07.06.25 泰介

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