【オレの話を聞け!その2】
1963年の冬だと思うが、62年か? 定かではない。
栗駒山の南麓の開拓地を歩き、駒の湯の山小屋に泊まった記憶がある。
山小屋は近代的で新築同様だった気がする。
単純な切り妻造りで、妻側(芳一さん教えて。しずくが垂れない方デス)に入り口があったような…。
入って真っ直ぐは土間。両の脇に板の間。
手前の炊事場と物置の上が中2階になっていたような…。
その後の山小舎建設にあたっての願望かナ? 不明。
その後、東北地方の山小屋(=避難小屋)には同様な建築が多く広まった、と認識してる。
その合宿でも1つ印象深く記憶に残っているのが、バス停脇の民家でのご接待。帰り道のこと。
雪道を下り、ヘトヘトでたどり着いたバス停。たっぷりの待ち時間。
「寒いから、ウチへ入れ」とおっしゃってくれた婆さん(と記憶する)。
ザックを背負ったまま土間に……。
「荷物下ろして、コタツで温まれ」と……。
コタツの上にはお茶とお新香。
オロオロと躊躇してると、引率していた顧問の井上先生が「お茶が冷たくなる。お新香も冷たいのが美味い。
遠慮せずいただけ! 」とおっしゃった。
夕暮れ近く、曇天の開拓地を歩きながら空腹で歩みが鈍くなっている自分を自覚した合宿だった。
「シャリばて」という言葉を想いだす。
駒の湯の明かりが見えたときは、ホッとした。
鈍く光る明かりだったが、断じて蛍光灯やLEDではない温かみがある小さな明かりだった。
あの婆さんには無理としてご家族に、45年前のお礼を言いたいナ。
08.06.21 信介
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